田巻裕一郎 × ENDON

小さな兵隊のための特攻服 01

エクストリームミュージック 現代美術

“カベ(エティエンヌ・カベー)の小説『イカリアへの旅(イカリア旅行記とも呼ばれる)』で未来に約束されていることがらのうち、少なくとも一つは実現された。~中略~その中で彼は未来の共産主義的な国家は空想の産物を抱えてはならないし、またいかなる点においてもなんら変化を被るものであってはならないことを証明しようとしているのである。それゆえに彼はいっさいのモード(ファッション)と、そしてことにモードの気まぐれな司祭であるデザイナーをイカリアから追放し、服装や道具などは決して変化してはならないと要請している”

ヴァルター・ベンヤミン(Bモード)

ベンヤミンは遺作にあたる『パサージュ論』で、わざわざ論じるまでもないと思われていた流行をいくつかの項目に分け、それぞれを深く、真剣に掘り下げた。そのひとつに当時のモードファッションシーンを文化現象として捉えたものがあり(ちなみに、主な資料として用いられたのは「エル」「ジャルダン・デ・モード」「ヴォーグ」「ル・プティ・エコー・ド・ラ・モード」といった、日本でもよく知られている大衆的なハイファッション誌だった)、そこで、変化し続けるモードシーンの対比として、共産主義者の制服の絶対的統一性について、述べている箇所がある。冒頭のテキストはその一部だ。

今回は一応、日本に限定して話を進めていく。現代のノイズ、エクストリームミュージック(原型はメタルだが、メタルほどマッチョではなく、快楽よりも観念に重きを置いている、と思われる。すべてではないが)シーンに、ルイジ・ルッソロ(ノイズミュージックの祖、代表作は「イントナルモーリ」という爆音ノイズ発生装置)から続く未来派(マルクスとエンゲルスによる共著『共産党宣言』に倣った芸術運動。高速で動く機械の美しさを称賛し、それによって支配、統率されていくだろう人間の活動を許す)的な思想が通底し、享楽の一切を否定しライブ演奏をストイックな運動のように捉えるストレート・エッジ、着飾ることとは縁遠いハナタラシ、非常階段並びにインキャパシタンツ、メルツバウ(漆黒の衣装を常に纏っているマゾンナや灰野敬二もおり、そっちの線もある)を筆頭とする、暴力的で気狂いじみてもいた(否定ではない、むしろ筆者は肯定的である。悪しからず)純正ジャパノイズが源流としてあることがもし、正解であれば、そこに身を投じているミュージシャンたちの制服、ステージ衣装は、装飾がない、とてもラフな、普段着と何ら変わらない(もしくはそれ以下の)ものになっている。それは、Tシャツ、あるいはスウェット/フーディー。オーヴァーサイズのデニム、あるいはチノパン。ヴァンズ、あるいはコンバースなどのスニーカーといったスケーターのような装いである。ちなみに、メルツバウこと秋田昌美は過去、衣服に関する書籍を著し、いくつかの雑誌で寄稿もしていたが、それは大衆的なファッションについてではなく、特別で限定された人間関係を築くための術、例えば、ラバー製のトラックスーツに目以外のすべてが覆われたマスクといったフェティッシュなボンテージや、自傷行為の延長線上にある快楽(ボディアートなど)を語る、束縛や破壊を擁護するものだったと思う。

ただ、早々に矛盾するのだが、多くの人がそういった服を纏うことが絶対的な意志に基づき、本当に共通しているか、つまり、それがユニフォームか、と言ったら、決してそうではない。ノイズ、エクストリームのミュージシャンたちが求めるものは、おそらく至極シンプルで、一時的な、戦争のような場の狂乱、揺さぶり、衝突、ハプニング、そして居合わせた人とのそれらの平等な享受である。ベンヤミンが『パサージュ論』で引用しているドイツの法哲学者、ルドルフ・フォン・イェーリングの言葉を借りれば、ファッションは「上流階級が自分より下の階級から、より正しくは中流階級から区別されようとする努力」、今で言うと、単純に誰かからすごく格好良い!お洒落!と思われたいという気持ちを生むが、彼らのステージには物理的な上下はあるにせよ、階級的な差異は必要ではない。簡単に、かつ極端に言い換えれば、大抵、ステージにあがる人気者のミュージシャン(と言って良いかは、とりあえず置いておく)たちは神格化され、衣装もアイコンになるが、そんなこと、どうだって良いわけだ。必要がないから変化も起きないし、文脈を生むムーブメントも生まれない。無関心でOKなのである。何となく趣味的にそうなった、たまたまスケーターっぽくなってしまっただけと考えるのが、たぶん自然だ。が、そんなところにこの矛盾を取り払ってくれるかもしれない火種が今、くすぶりかけている。

表立つことはないが、未だ冷めない、否、むしろマグマのように熱い世界のアンダーグラウンドのホットスポットの中で活躍している、東京を拠点とするENDONという5ピースのバンドがいる。VICEが運営する音楽主体のサブチャンネル、noiseyをはじめとする海外メディアは彼らのことをこう表現する。“The Most Extreme Band in Tokyo”もしくは“One of The World‘s Most Extreme Noise Metal Band”と。何というか、クリシェ甚だしいし、おそらく各メディアもそう自覚しているようだが、こういったワード以外の端的な枕詞は見つけ辛い。それだけ際立った存在だという確かな証拠だろう。

先日、ヴォーカル担当の那倉太一のinstagramを何気なく眺めていたところ、背面に血管を模したようなシルバーのシルクプリントが施された異様なダークグレー(?)のセットアップ、鳶職の人が履きそうな安全靴(そのせいで一見、新型の特攻服のようにも思えた)と、ラフ・シモンズが1年の休止の後に披露した、2001年のコレクションを彷彿させるパッチが随所に貼られたレザージャケット(それはノイズ担当の那倉悦生用で、ちなみに二人は兄弟)の写真が現れた。どうやら、それらはステージ衣装のようで、手掛けたのはレイモンド・ペディボンの代表作のひとつに当たるブラック・フラッグの『My War』のジャケットイラストをTシャツ、シャツ、フーディーなどにシルクで刷り、自ら着用し、そのポートレートを毎日、おそらく死ぬ前日まで撮り続けるだろう、ファック・ポスト・モダニズムを爽やかに、時に無表情で、時に笑いながら実行している現代美術家(と言って良いかも、とりあえず置いておく)の田巻裕一郎だということが分かった。こりゃあ、面白い。と、那倉太一に連絡を取り、この度の撮影に至った。

“小さな火も荒野を焼き尽くす”

ジャン・リュック=ゴダール『小さな兵隊』より

今、言えることはこの曖昧な引用と、“矛盾を取り払ってくれるかもしれない”というのと、これからの進捗は逐一追って行くということくらいだ。

以上、続く、では。

田巻裕一郎 https://yuichirotamaki.com/, https://www.instagram.com/mywar_yuichiro/

ENDON http://endon.figity.com/

ニューアルバム『Boy Meets Girl』がBLACK SMOKERより2018年9月5日にリリース。 http://blacksmoker.cart.fc2.com/ca529/469/p-r-s/

写真: 堀哲平

: 大隅祐輔

2018.7.12(木)


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