ロジャー・マクドナルド(宇宙意識美術館館長)インタビュー

コズミック・コンシャスネスへの手引き

古代 現代 長野 宇宙

All along you thought this was the truth
Accepted this life without proof
Somewhere along the lines
You lost your way

Somehow, someway
You need to find a new direction

Still navigating through
To find the right way
You might need a

Cosmic Perspective
For the misdirected
A Cosmic Perspective
Let’s get redirected
To the land of music
Find yourself
In the land of music
Find yourself
In the land of music
Oooooh

MNDSGN「Cosmic Perspective」

『国富論』で影こそ“自分”であると訴えたプラトンも、「四次元を幾何学で解明することは最高級の企て」と述べたイマヌエル・カントも、二次元化した世界、そこに生きる人(皆、四角形とか三角形の平面の姿をしている)が三次元の概念を覚える過程を叙情的に描いた『フラットランド』の著者、エドウィン・アボット・アボットも、現代音楽家のジョン・ケージも、ヒッピー、ボヘミアンたちも、ブライアン・イーノも、時計や周期性から解き放たれようとしたジャズメンのドン・チェリー、ジョン・コルトレーン、サン・ラ、マイルス・デイヴィスも、博物学者の南方熊楠も、漫画家の藤子・F・不二雄、鳥山明(テーマとして使っただけだけれど)も、最近ではLAのビートメイカーのフライング・ロータス、MNDSGN(マインドデザイン)も。遡れば、多くの人が“宇宙”を求めてきた。挙げれば、とにかくキリがない。それはスペースシャトルに乗り、大気圏を突破し、重々しいスペースウェアを身に纏い、無重力空間をプカプカと浮かんだり、スペースシャトルの中でフワフワと浮かぶ液体を食べたり、「ほらー無重力だよぉ(笑)」と見せびらかすことではない。自我という実際にはあるようで、本当は存在していないような、半ば強制的に与えられたフレームの外側へと辿り着くこと、意識の超越を指している。

言うまでもなく、我々は三次元空間(東西、南北、上下という、相互に直交する3つの運動の組み合わせによる構造)に住んでいると“思っている”。しかし、哲学者や神秘主義者は瞑想によって、物理学者や数学者は数式によって、そこからの逸脱、つまり四次元的世界へ到達する術を編み出そうと本気で試みてきた。サイバーパンクSFの創始者と呼ばれているルディ・ラッカーが著した『四次元の冒険』から言葉を借りれば、「世界について私たちが日常的に抱く見解がもっとも正しく、もっとも広いものなのだと信じ込むべきではないということである。常識は誤りうるし、目で見たもの以上の途方もない実在が存在するかもしれない」のである。とりわけそういったことに対して熱心に研究していたのが心理学者のカール・グスタフ・ユングだった。ユングは精神病者の幻覚や妄想には、個人の経験を超えた普遍的な内容がしばしば出現することに気づく。これを簡単に言ってしまうと、人間の無意識的に引き起こされる苦悩や願望は誰でも大体同じで、古今や東西、はたまた人種は一切関係なく共有ができる。テレパシー(≒共時性)のようなものが根底に存在し、それを自覚させることで治療に繋げるという考えを唱え、その“根底”を集合的無意識と名づけた。以来、ユングは日常の平凡な経験的事実を忘れ、夢や幻覚や神秘体験のような、視覚化が困難な異常現象にだけ関心を向けるようになる。例えば、寝ている間、誰かが入ってきたような気がする。額と後頭部に激しい痛みを感じる。翌日、患者が自殺したことを知らされる。といった具合に、時空が相対化した体験などである。また、もっとライトな例を挙げるとすれば、ケージは美術家のロバート・ラウシェンバーグと出会った時について、共通点があり過ぎたため、わざわざコミュニケーションをとる必要がなく、自ずと互いを尊重し合う間柄になったと語っている。これをユング心理学と紐づけるのはいささか乱暴だということは自覚しているが、必然と捉えるか、偶然と捉えるかは置いておいて、似たようなエピソードをもつ人は少なくないだろう。

「共時性は、事象の空間的時間的な偶然の一致を、単なる偶然以上のもの、すなわち一人もしくは数人の観測者の主観的(霊的)な状態だけでなく、客観的事象そのものの間の特別な相互依存症を意味するものだと考えるのである」(ユング)

東京から宇宙意識美術館がある佐久平までは、新幹線で片道1時間弱しかかからない。駅に着いたらロジャーがランクルに乗って迎えに来てくれる。

ただ、ここで詳しくは触れないが、ユングの考えは多くの矛盾を孕んでいた。故に、関心と同時に多くの批判を生んでいる。19世紀にアメリカ、ヨーロッパに至るまで、心霊術が大流行りした時もそうだった。幽霊は実存する世界の外にいるエクトプリズム(心霊体)だとか、はたまた振動エネルギーによって生まれるとか、かなり具体性が欠けていたため、霊媒者は詐欺と揶揄された。目に見える物、肌で触れられる物、飲み込める物、論理化できるもの、つまり実存を信じ切っている人にとっては、どんなに理屈をこねようとオカルトやホラーに聞こえてしまう(ちなみに筆者は、宇宙や四次元など行ったことがないし、外傷だけで精神病を患ったことも(たぶん)ない。行ってみたいとは思うが、三次元の中で生きながら毎日ヒーヒー言っているショボいリアリストである)。しかし、矛盾を語ることがどうして悪いのだろう。答えをイエスかノーに限定してしまうことほど、つまらないことはない。知るトライくらいはしてみても良いのではないだろうか。

宇宙意識美術館の入り口。元々は「謎に満ちた隠遁学者のペテン師ダン・フェンバーガー博士の私宅」という設定だった。

安心して欲しい。奇人にならずに、爽やかに古代/現代の世界各地のアートを通し体感、否、少なくとも宇宙、四次元に行くための術、あるいは結果のようなものを観ることができる珍しい場所が、長野県の佐久平という田舎町に存在している。その名は「宇宙意識美術館」。あまりに直球なタイトル……と普通だったら訝しむんだろうが、館長のロジャー・マクドナルドこそ至って普通、というか実にナイスガイである。

同美術館の展示における根本的な考え方はアメリカの心理学者、リチャード・モーリス・バックの1901年の著書『宇宙意識』に基づいている。

「『宇宙意識』が出版される前まで、神秘的な体験の研究は宗教学のフィールドにおいてだけされていた。でも、その本ではもちろんブッダにも触れられているのだけれども、一般の人々の体験談も語られている。つまり、人間の心理が如何に不確定かつ無意識的に引き起こされるもので、さらには誰にでも起こり得る普遍性をもっているという新たな提起をしたんです。そういったことに関心を抱いた視覚療法を行っていた人、アーティストの作品を古今東西から集め、空間を構成しています」

オールド・アートの空間。柔らかなクッションに身を委ね、寝てしまっても構わない。というか、訪れる人は大体寝落ちするらしい。

展示室は3部屋ある。まず“オールド・アート”と括られている一つ目では、シャーマニズムや宗教芸術にまつわるものが3面の壁にレイアウトされており、多くを占めるのが、マンダリックな図形、規則的なパターンで、あるパーツがレイアウトされているコラージュ、東洋の思想が如実に現れている精神的遺産などである。曼荼羅の原型は円/輪で、永久に終わりがない完璧さの象徴として用いられ、生のサイクルや平等性、一体感、協力などが第一義としてある。さらに、その中が複雑な幾何学で構成されており、それが迷宮を示しているとも言われている。要するに、共同体の力によって心の解放を促す、治癒の儀式に使われる道具なのだ。おそらく日本においては、一般的にヒンドゥー教や仏教にルーツが思われているだろうが、実は西洋にも同様のものが存在している。

1175年に制作された中世ドイツのベネディクト会系女子修道院長であり神秘家のヒルデガルト・フォン・ビンゲンによる、幻視体験を現した絵。

宇宙の海にいるヴィシュヌとブラフマーの誕生を描いたもの。ヴィシュヌの腹から蓮の花が咲き、ブラフマーが目を開くと世界が誕生し、蓮が消え、また咲き、またブラフマーが生まれるという永遠に繰り返される時間の循環を示している。

宋時代に描かれたという唐棣の「倣郭煕秋山行旅図」。

「宗教画が遺してくれた様々な絵は、我々にとって地図のようなもの。意識の先にある言語化が非常に難しい場所に向かうための方法を示してくれていると感じる。インドの作品はとりわけそういった要素が強い。修行によって精神性を高めることが芸術的であるという美学があるから、西洋とは根本的に違うわけです。しかし、ヒルデガルト・フォン・ビンゲンというヨーロッパの著名な神秘主義者は大人になってから強烈な神秘体験をして、それを元に創った詩と絵のシリーズを遺しているのですが、そのなかに円、輪のフォルムをしたものがいくつかある。さらに、ユングは円を描くことで自らの精神状態をはかったと言われています。曼荼羅はどこか特定の場所のものではなく、文化、時代を越えて“立ち現れる”ものだということが、歴史を振り返ることでわかるのです」

およそ1年かけて創られたという、スウェーデンのアーティスト、ハンス・アンダーソンのコラージュ作品。一見、無秩序に色紙が貼られているように思うのだが、いくつかの線が残されており、ある厳格なルールに基づいていることが垣間見られる。ロジャーは「ハンスはアートを祈りの行為と考えている」と話す。

基本的に宗教芸術の根底には、その宗教の間で共有されている神話が存在する。つまり、ある言語があり、決して容易くはないが、それさえ理解ができれば宇宙へのアクセスが可能になる。しかし、20世紀に移ると、特にヨーロッパにおいては宗教の力が弱まり、個のビジョン、挑戦が尊重される時代へと移る。ある意味では束縛から解放され自由になった、とも捉えられるが、一方で他人の助けがなくなり自らの手で宇宙への糸口を探す必要がある困難な状況に陥った、とも捉えられる。その方法を無意識的に編み出したのがポール・セザンヌだった、というロジャーの見解があり、次のモダン・アートの部屋はそういった事例を起点に構成されている。

美術家、童詩雑誌「きりん」の編集者、浮田要三の『寡黙』。

「美術史において、あくまでセザンヌはキュビズムの祖というところで留まっているのだけれども、私は相当高度なメディテーターだと考えているんです。晩年の多くの絵は野外で、常に同じモチーフを描いていた。さらに、日によって一滴も絵具をつけず、長い時間、山や森を眺めるだけの日があったことが彼の日記に書いてあります。その行為は私からすると、ヨガや瞑想に近しい。しかも、セザンヌはそのモチーフを写実的に、忠実に描くのではなく、丸、三角、四角といったソリッドなフォルムを用いて描いていた。それが後にキュビズムへと繋がることは事実ですが、無意識的に現実の構造を読み取った、と捉えても良いのではないでしょうか」

キュビズムの代表的なアーティスト、ジョルジュ・ブラックによるコラージュ。

アウラカメラという特別なツールを使い、被写体のポートレートを写すと共にカラーを引き出す、ギリシャのアーティスト、クリサン・スタカテョスのシリーズ作品。

モダン・アートの部屋に飾られている作品のひとつに、先に触れたヒルデガルト・フォン・ビンゲン、曼荼羅と深くリンクしているように感じるものがある。今となっては霊媒画家という肩書きを与えられているエマ・クンツは元々、占い師/女呪医だった。医療手段として使用していたのが、1m四方の方眼紙に描かれた幾何学図形。翡翠と鉛が両端についた鎖をその上で振り、患者の運命や病因を探っていたと言われている。ちなみに、わずかだが彼女の治療記録が遺されており、逆子を直したり、誤って針を飲み込んでしまった子供にお粥を食べさせた後に浣腸をして出すことに成功したり、電話口で患者が心臓発作を起こすと、たちまち彼女にも同じ箇所に痛みを覚え(まさにユング的である)、振り子に専念していると双方共に症状が消えたそうだ。

カルテのようなものがアートへと昇華(?)するきっかけがある。エマの死後、スイスのある銀行家が遺品を二束三文で買い取り、しばらく経った後に画廊で飾り、適当に法外な値段をつけ売りに出したのだ。このいいかげんな行動には功罪があるが、それがなければ宇宙意識美術館に飾られることもなかっただろうから、まあ、良しとするしかない。

キュビズムに話を戻そう。セザンヌなどの影響を受け、20世紀初頭にパブロ・ピカソ、ジョルジュ・ブラックによって、そのムーブメントが起きる。モチーフを破片のように分割、破壊し、陰影を幾何学的に描き、絵具ではない物質を貼り付ける。ルネサンス以降の遠近法や写実主義に対するラディカルな反発、リアリティとは真反対の言語を打ち出すための実験、という正当な評価をした上でロジャーは次のように考察する。

「キュビズムが登場したのは1905年前後。その時期、20代だったピカソとブラックは、相当なオピウム(=阿片)中毒に陥っていたことが最近の研究で明らかになっています。オピウムが引き起こす幻覚は理性を壊し、視覚をゆるくする。それが要因で彼らの表現が生まれたとは決して断言できないけれども、推測することは可能でしょう」

そこから少し時間が飛び、最後の部屋は60~70年代にフォーカスを当てている。宇宙に行く、神秘体験をする最も手っ取り早い方法が、言わずもがなのドラッグの摂取だろう。現代日本において、その大半が違法のため、擁護や全面的に認めることはできないが、ドラッグが戦後のカウンターカルチャーの発展に大きく貢献したことは、紛れもない事実だ。20世紀半ばを代表するアメリカのナチュラリスト、アデル・デイヴィスによるLSD体験を詳細に綴った『EXPLORING INNER SPACE』という著書。グレイトフル・デッドのTシャツ。集団精神療法並びに幻覚剤による人格変容の研究を行った心理学者、ティモシー・リアリーなどのポートレート。ティモシーのアシッドパーティ出身のDJ、デイヴィッド・マンキューソが主宰したロフトというホームパーティ形式のダンスフロアの光景。自らのバンドを“オーケストラ”ではなく“アーケストラ(Arkestra、「a」と「r」で始まり、終わることは永遠を意味し、「kest」はサンスクリット語で「太陽の光」を指す「kist」に近い、としている)”と呼んだサン・ラ。太陽の光がさんさんと降り注いでいるかのような真っ黄色の場で語り合う人々の様を描いた、マイルス・デイヴィスの『On the Corner』のジャケット。60年代に結成された部族という日本のヒッピーグループの姿。LSDを開発したアルバート・ホフマン博士の紹介を皮切りに展示されているこれらを一気に振り返って行くと、サイケデリアが20世紀の前半に失われた共同体、コレクティブに対する意識を段々と蘇らせていったことが分かってくるのだ。

LSDが発明されてから100周年を祝う大イベントの際に発表されたアレックス・グレーによる作品。アルバート・ホフマンの姿を描いていると思われる。

1963~71年の間に発行された機関紙。ティモシー・リアリーの精神的自由のための国際財団がスポンサーについていた。

イギリスのアーティスト、ゴシュカ・マクーガの『我は死神なり、世界の破壊者なり』。

「アメリカでドラッグが違法になるのが1967年。LSDもメスカリンも、それまでは非常に真面目な研究対象で、精神病や鬱病、PTSD、末期患者の死に対する不安を鎮めるのに効果があるとされていた。それからおよそ50年。研究者たちがポジティブな効果を訴え続けてきたおかげで、今、その研究がやっと再開され始めたんです。日本にいると耳に入ってこないのだけども、ハーバード、スタンフォード、インペリアルカレッジをはじめとする、錚々たる大学がいわゆるサイケデリックスを使った医療実験を行っている。おそらく、政府側の利益としても相当なポテンシャルがあると分かったのでしょう」

ロジャーは、おそらく本人の見解ではあるが、キュレーションの語源を“cure”、つまり治癒だと言う。ここまで触れてきた内容は、宇宙意識美術館のほんの一部分に過ぎない。大切なのは鑑賞よりも体験だ。そこに身を置かない限り、彼の本当の意図は分からない。

「ただ四角くて白い空間の中を眺めることは、目がぐるぐる回っているだけ。私は美術館を装置として考えたい。自然の中にある建物の中で、世界中の宇宙意識的なアート、音楽に囲まれながら、長い時間滞在(宇宙意識美術館は6時間の滞在、1日6人限定というルールをとっている)してもらうと、次第に身体に馴染んでいくはず。本当の理解は、そういった体験からしか生まれないと思うんです」

最後はお茶目にキメてくれたロジャー。

宇宙意識美術館 https://www.fenbergerhouse.com/ ※完全予約制。

写真: 中矢昌行

: 大隅祐輔

2018.7.12(木)


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