Series 01=New / Age ララージインタビュー

奏で、歌い、笑う、かねてから、これからも、ただただ美しい音楽の奉仕をするために

自分 宇宙 誰か

彼/彼女は過去も現在も、予想され、期待され、嘆かれる未来も知らない。

喜び、怒り、悲しみ、楽しさ、痛み、恐怖をおそらく感じることはあるが、意図的にそれを表現/反応することはできない。

悩み、疑惑、欲情、想念、観念、妄想、妄執、虚妄を抱かず、語らない。

犬を、猫を、鳥を、虫を、牛を、馬を見る。ただ、愛すべきものとして知る、たぶん。

政治、経済、闘い、労働を知らない。

優劣を知らず、偏見をもたない。

善にも悪にも触れていない。

男か女かもわかっていない。

知識をもたない。

素晴らしい音楽は、ただ鳴り響き、自己同一化されていないが主体である身体を揺らし、鼓膜を撫でてくれるものと感じる、たぶん。

そう、彼/彼女は言葉と、ペンと、ノートという存在すら知らない子供なのだ。

何度でも思い返し、その度に、何度でも人に話たくなることがある。およそ1年経っても、記憶は鮮やかだ。

ジメジメとした暑さが残っていた2018年9月。再開発著しく、誰かがそこで何かがあるのではないかと期待し、絶望し、整形とビッグマイナーチェンジを繰り返していないと気が済まなくなってきているテクノスタルジアの表徴/象徴、渋谷。その地中にあるライブハウス、WWWで行われたララージの初来日公演でのことである。普段はスタンディングの会場には椅子が並べられ、訪れた人、皆がそこに腰を掛けているものの、今か今か、とララージの登場を待ち、焦がれていること、ソワソワとする心中が手に取るように分かる開演前。分かる分かるよと、激しく同感と同調をしながら全体を見渡すと、ちょうど真ん中あたりの席に、0歳か1歳か、男の子か女の子かも分からないが、新生してあまり時間が経っていないことだけは明らかな子供を抱いた母親と思われる女性と、隣には父親と思われる男性が座っていた。それに気づいてから、僕は度々、その家族を気にしていた、無意識的に。3人はララージの公演中、終始穏やかだった。何度か母親と父親が子供を気にかける場面を見たのだが、その子は泣いたり、大きな声をあげたり、ぐずついたりすることもなく、母と音の温かさに包まれ、抱かれ、ずっと落ち着いていた様子だった。その子がどう感じていたかなんてさっぱり分からないが、ただただ、その境地が羨ましくてしょうがなかった。公演後、黙々と考えていたのが冒頭のようなことだ。知らないこと、つまり無知での体験は時として証果を得る。成長し、忘れてしまっても、おそらく。

ララージ。ブライアン・イーノに見初められ、イーノが当時取り組んでいたアンビエントシリーズの3作目『Ambient 3: Day of Radiance』で、1980年に華々しくも密やかにアルバムデビューしたアンビエントミュージックにおける第2とも言える祖。元コメディアンだったということを知る人もいるかもしれないが、彼を知るのと同時に得るインフォメーションはおそらく、大抵こんな感じだろう。僕もそうだった。革命家としてのイーノの偉大さに対するリスペクトを前提に聴き、惚れ込んだ。

ワールド・ミュージックを特集した雑誌「ユリイカ」臨時増刊 Vol.22-5(1990年4月、青土社刊)における中沢新一と細川周平の討議では、以下のような流れでイーノについて語られている部分がある。抜粋と要約をしながら、その内容を記していく。

中沢がネパールやインドに行っていた時期(1970年代から80年代)、多くの人がテープレコーダーを抱え、そういった未開の地に入り始めていた。

ただ、彼らはレコード店に並べられる「世界の民族音楽」のようなものを作ろうとしていたのではなく、民衆主義的な色彩の強いフォーク音楽に対する関心というわけでもなく、テクノロジーの問題がはっきりと組み込まれていた。

その中の一人がブライアン・イーノで、イーノは色々なところをほっつき歩いていた。

細川は(アメリカ・シカゴに住むアフリカ系アメリカ人を中心に結成されたフリージャズバンドの)アート・アンサンブル・オブ・シカゴを例としてもち出し、同バンドの楽曲を「構成された未開」、(アフリカに強烈なルーツがあるという前置きを挟んだ上で)アフリカの音楽ではなくアフリカ“について”の音楽だということ、アメリカからアフリカに向かうという前衛的方向の現れだと評する。

細川がアート・アンサンブル・オブ・シカゴのライブを初めて観たのが1974年。それから約16年の間で、今度はアフリカが西洋に向かった。サリフ・ケイタ、ユッスー・ンドゥール、パパ・ウェンバといったポップアフリカンミュージックが生まれる。

イーノは未開の地の音楽を取り入れた英国人、という評価では済まされない。早々と音楽的通行/横断という実験をしていたからこそ、西洋に受け入れの素地が出来たのだ。

誰かが未開の地で流れ、鳴り響いていたものを新しい音楽と評価し、名前をつけ、それを活かしたり、録音し流通させたりして、ジャンルという枠にはめ、レコード店に陳列、あるいは現代であればストリーミングサービスにラインナップさせなければ、僕たちは聴く機会すら得ることが出来ない。否、出来はするかもしれないが、道のりは程遠く、険しい。要するに、そのアクセスが簡単かつ高速で出来てしまう真っ平なルートを作った張本人がイーノであり、それが最大の偉業であると言い切ってしまっても誤りではないだろう(日本のロックバンドであるゴダイゴも個人的にはそういった評価が出来る可能性があると思っているのだが、大幅に話が逸れるので、今回は触れずに話を進める)。

しかし当の本人、今回の場合のララージの目的が「アンビエントミュージック」を作ることで、たまたまイーノのルートに乗った(イーノとララージの出会いなど、詳細については、この後のインタビューで触れる)、先を引用し言い換えれば、「構成された未開」と捉えてはいけないだろうと、彼に関する情報をある程度得て、聴き始めた当初から思っていた。というか、そうであって欲しい、と半ば勝手に願い、希望をもっていたのかもしれない。

ワントゥースリーフォーファイブシックスセブンエイト

ワントゥースリーフォーファイブシックスセブンエイト

ナムミョウホウレンゲキョウ

ナムミョウホウレンゲキョウ

コンシャスネスコンシャスネスコンシャスネス

アイアムアイアムアイアム

グッドモーニングサンシャイン

アッハッハッハッハ

時折、彼は楽器を奏で、それに合わせてこう歌い、笑う、かねてから。レコードのタイトルが変わろうが、トラック名が変わろうが、彼の音楽の様相、形式は大きくは変わらない。その理由は、新しい音楽を作るという前衛的で作為的な目的で行っているわけではないからなのではないだろうか。

音楽は跳躍、つまり自分を解き放つ芸術であるのと同時に、愛や憎しみといった感情の現れなどではなく、波や砂と戯れる子供の遊びのようなものが原初にあると、フランスの詩人であり画家のアンリ・ミショーは言う。ララージの音楽には大人になってしまった僕たちが途轍もなく美しいと感じられるメロディの連続/持続、そして余韻がある。ただそれは、“構成”によって生み出されるのではなく、当人の経験から来る無意識的な運動、楽器と自己との対話、戯れから半ば偶然放たれたものなのではないだろうか。それをイーノは高く、高く評価したのではないだろうか。

過去、現在、未来、喜び、怒り、悲しみ、楽しさ、痛み、恐怖、悩み、疑惑、欲情、想念、観念、妄想、妄執、虚妄、政治、経済、闘い、労働、優劣、偏見、善、悪、性、知識。

たったひと時だけでも良い。自らを取り巻く、どうしても日々の中で抱いてしまい、泡のようにブクブクと膨らむこれらのものから解放し、宇宙を飛び跳ね、躍動する子供のような状態に戻してくれることが、音楽を始めとする芸術の大きな役目の一つだということは真実だと強く思う。それが可能なのか、どうしてもララージ本人に問いてみたかったのだ。

“市民にとっての真実とは、新生児にとっての真実と同じである”

―ジャン=ジャック・ルソーの言葉の代弁として、
ジャン=リュック・ゴダール『たのしい知識』より

まず、幼少期から大人になるまでの生い立ちをお聞きしたいのですが。

この身体が生まれたのはアメリカの北東部です。とても信仰心の厚いバプティスト派のクリスチャンの家庭で育ち、公立の学校に通い、10歳からピアノやバイオリンといった楽器を通して音楽を学び始めました。学校や教会の聖歌隊やオーケストラでパフォーマンスをしていましたね。

もう少し遡りましょう。6、7歳の頃だったと思います。当時、ニュージャージー州にあった家が火事で焼けてしまったんです。両親は私を含めた三人の息子たちをバージニア州の田舎町にある祖父母の家へ連れて行き、そこで暮らすことになりました。その土地は牛と水車小屋と農家の家々のある田舎町。おそらく、祖父母の家での生活によって私の意識がスピリチュアルなものへシフトしたのだと思います。生活をしていく上で、自分の手を使い何か(おそらく食べ物)を育てる必要がありました。同時に、動物達と触れ合うようになったり、自然を見つめる機会を得ました。とても劇的な時期でしたから、火事にあって傷ついた心を田舎の生活が癒してくれたんです。

青年になり、始めは俳優になろうと思っていたのですが、エンジニアに気が変わって、最後の最後にミュージシャンになりたいということに気づきました。そして大学で音楽を専攻し、音楽理論とピアノを学びます。実はそれと同時に、タレント番組でコメディもしていたんです。私はコメディが大好きだった。私の一つの才能だったと思います。

大学卒業後はニューヨークへ移り、コメディと演技をさらに探求し出すのですが、その後、1970年に瞑想を始めました。スピリチュアルな本を読んで、学びを深め、長時間に渡る深い瞑想の練習を重ねていったんです。この時期に宇宙の音と触れ合う経験をし、初めて宇宙意識というものを認識します。今という瞬間が永遠に、果てしなく続くことを音楽によって知ったんです。

それから間もなくして、私は自分の内なるガイドに導かれて電子オートハープやチターを弾き始めます。宇宙意識を覚醒させ、自分自身に耳を傾け従うために。チターを鳴らすインスピレーションの源は瞑想の経験。そこから得られた先には三次元でも四次元でもない、異次元の空間ありました。ただ、その演奏方法は段々と変化しています。始めの頃は主に指で弦を弾いていたのですが、日本に訪れた際に東急ハンズで木製のハンマーを買ってから、それで叩くようにもなりました。『Ambient 3: Day of Radiance』に収録されている曲でも、そのハンマーを使っていましたよ。

東急ハンズは渋谷店ですか?

そう。その後にまた行ってみたけれど、もう取り扱ってなかった……。

本来、その木製ハンマーは何用なんでしょう?

元々は粘土細工で目や耳を作ったりする用のもの。でも、そのハンドルと先端が弦を弾くのにちょうど良かったんです。ただの小さなハンマーだったけれどもパーフェクトだった。From TOKYU HANDS to Laraaji hands!

また、ゴングマスターであるドン・コンロー(Don Conreaux)という先生がいて、彼のニューヨークでのパフォーマンスに参加したことがあります。その時、私はチターを弾き、彼はゴングを鳴らした。その音色はどこかへ連れて行ってくれるような気分にさせてくれました。「このビート大好き。もっと聴いていたい」と思い、自分で好きな時に鳴らせるよう、自分用のゴングも手に入れました。何故、ゴングの音色が好きかと言うと交響的だから。その音色は、人々のバリアを壊して、水のような、空気のような心身へと導いて行ってくれるんです。

幼少期のことでもう一つ。私のゴールはイエス・キリストのようになることでした。人々の精神を羽ばたかせ、心を開かせるような存在に。それが子供の頃に描いていた将来のビジョンです。

写真中央右手にあるのがチター。ツィターとも表記される。

先ほどおっしゃっていた「内なるガイド」について、もう少し詳しく教えて頂けませんか。

内なるガイドを引き出す方法はいくつかあります。例えば”spontaneous writing” と呼ばれる、一枚の紙に思考よりも速く文字を書く方法。そうすると何が起きるかというと、自意識が消え、より高い波動の知性がその一枚の紙を通して届けられ、内なるガイドへと導いていく。どうしても自分が書いたものを校正したくなったりするので最初は難しいのですが、考えずに、とにかく書く。私はそれと同じように音を発している。自分は男性で、ミュージシャンで、と考えてしまうと邪魔をするんです。

太極拳やヨガ、瞑想なども例に挙げられます。毎日ではないですが、私はパフォーマンスの前や公園に行った時に自分なりの太極拳をしたりします。瞑想は毎日の習慣になっているけれども、それもきちんと座ってするというよりは自分なりの方法で行っています。ヨガも同様です。瞑想などをすることで、自分という存在がクリアになり、音楽にも高い純度の自分が現れ、安らぎと余白が生まれる。さらには、常に身体の裏側にいる真の自分を思い出し、自分は人生をどのように捉えているかを思い出せる。瞑想をしている時のように物事を見つめていくことを“meditative understanding(瞑想的な理解)”と呼びますが、それをすることで、世の中の考えに引っ張られないでいることが出来ます。

瞑想的に考えると、すべてのものは一時的な出来事でしかなくなる。だから、その一つ一つに傷ついたり振り回されたりすることもなくなる。トラウマも、ドラマのような出来事も、暴力的な出来事も、すべてその時に起こっているだけ。すべては安らぎや至福と表裏一体で、無限に広がる安全な宇宙の中の存在だということを忘れないでいられる。

宇宙は安全な場所ですか?

安全。何故ならすべて一体で、区別も、競争も、縄張り争いも、境界線もないから。

ララージさんにとって、理想的な演奏空間はあるのでしょうか。

ヨガや瞑想をする環境のように、マットや枕があって、柔らかな雰囲気の中でリスナーがアイマスクをして聴いていて、私もそれと同じ高さで演奏するのが理想的。そして、最初に共に笑うか瞑想の呼吸をすることから始めて、リスナーの緊張を解きたい。

笑いは相手と自分を近づける最短の方法です。隔たりもバリアもなくして、ストレスを緩和することが出来る。リスナーとパフォーマーとを区別する感覚をなくし、リスナーはより音楽そのものを体感出来るようになる。笑うことは音楽を聴く準備をするということでもある。笑うと脳、喉、ハート、お腹が振動し、凝り固まっていない水のような身体になる。音を聴くとその水のような身体の中でそれが反響します。それと同時に、安全な空間にいるのだという安心感を抱けて、弱い部分も出せるオープンな状態になる。つまり、子供のように音を受け取れるようになるんです。

あと、音響機器はハイエンドなものを。ハイクオリティのウーファーとHi-Fiステレオ、邪魔する音が一切ない、まさにヨガや瞑想のリトリートを行うような空間。

確かにそれは理想的ですね。ただ、我々は皆、どうしてもララージさんの音楽を聴く際、最初に身構えてしまうように感じています。“崇高で”、“格式がある”、“シリアスで”、“エクスペリメンタルな”、“巨匠による”、“アンビエントミュージック”だ、と。

アルバムデビュー前、ニューヨークの歩道でチターを演奏していた時、私はジャンルなんて全く考えていなかった。ただ、その音色に宇宙空間を感じていただけです。通りすがりのイスラム教徒は「これはイスラム教の音楽だ」と言い、インド人は「ヴィシュヌ神の、シヴァ神の音だ」と言い、別の人は「天体の音楽だ」と言った。そして、ブライアン・イーノがやって来て「アンビエントだ!」って(笑)。

ニューエイジやアンビエントミュージックというのはマーケティングの方法、名称であって、私自身は気にしていない。頭で考えることから抜け出し、人間を受け入れ包み込む宇宙、美しくて創造的な表現を音に代えているだけ。

つまり、私の音楽は奉仕と言えるかもしれない。マインドが騒ついた人を助けるための奉仕。音楽はそういう人をリラックスさせ、安心させられていると信じている。

音楽を建築的に捉えているというお話を何かで読んだ覚えがあるのですが、それについて具体的に教えて頂けますでしょうか。

私は人が住む天体である地球を形づける五大元素(地、水、火、風、空)、すべてを自分の音楽に取り入れています。大地に根付き、水のように淀みなく流れ、火のように情熱的に、風と同じく空を住処としながら楽器を奏で、歌う。この要素がすべて私の音楽の中で建築的に繋がっているという意味です。

先ほど、私は音楽の奉仕によってリスナーをリラックスさせたり、瞑想をしている時の状態や、観念や身体を忘れさせ、宇宙空間を漂っているかのような感覚にさせられることを信じていると言いました。それは、私のinner architectureに導くという言い換えも出来ます。“architecternal”という言葉があります。これは個々人によって異なる内面の構造を指します。それは幾何学的かもしれないし、円かもしれないし、ピラミッドのようなトライアングルかもしれなくて、そこには登り辛い、障害になっている階段のようなものがあって、時々行き詰っているかもしれない。そこに別のもの、つまり私のinner architectureから放たれる天体のような音楽を提示すると、それまでの行き詰っている環境から抜け出し別の環境に身を置くことが出来、自由に飛び回れるようになる。例えば、天まで伸びるように直立し、屋根が大きく弧を描く大聖堂に足を踏み入れた時、その建築様式があなたを平静な状態へ導くことがあるでしょう。それと同じとも言えます。

瞑想の音楽は異なるinner architectureを指し示すことでどこにいても(例えあなたが今、駅のホームで椅子に腰を掛けていたとしても)、リスナーをリラックスさせることが出来る。それだけでなく、血液の流れや呼吸の深さといった体内に流れるものにも変化をもたらす可能性がある。内面で起きている混雑した状態を正し、淀みをなくすように。

人は時に、自分自身のことを本当の意味で考えていない。私の身体にも(自らの身体を指しながら)ここに心臓があって、腎臓があって、お腹があって、骨がありますが、architecternalというのは、そういった物理上の話ではなく内面についてであり、テンポのことであり、自分自身の神聖さを感じるということ。ただの肉と骨ではないことを音楽で感じられるのです。

理想的なarchitecternal musicは宇宙空間の音。インドでは内なる声の流れを“NADAM(マントラ(讃歌、祭詞、呪文)を唱え続けることは宇宙のバイブレーションとシンクロすること。唱えた後、平静が生まれ、身体の内外で脈動する静かなエコーが聴こえてくる、と言われている)”と呼びます。この身体は炭素で出来ていて、電磁気を発しているわけではないでしょう? 身体、心は水晶のように本当は澄んでいるもの。architecternal musicは、その本来の形を現すことが出来る。

リスナーを水晶のような状態へ導くと、人それぞれよって異なる考え方、感じ方、ものの見方を得ます。何かのビジョンが見える人もいれば、満たされた気持ちになる人もいるし、宇宙と繋がった感覚になる人もいる。しかし、一貫しているのは「私はジョンです。トラック運転手です」といったように、名前や肩書といった自分を取り巻く情報から解き放たれ、何も所有しない、無限の存在になれます。

これが、私が自分の経験を元に得た答えです。

現代の人々はどんなストレスを抱えていると思いますか。

誰が舵を取るのかが分からないこと、誰が何を任されているのかがわからないという感情、心理。言い換えるなら、自分が何者であるかが分からないということがストレスになっている。自分という存在について理解出来ていないから、今日はあっちへ、明日はあっちへ、と引っ張られてしまう。「あなたはこういう人間です。これがあなたには必要です」と他人から言われ、釣られてしまう。自分自身を理解できていないストレスが混乱と混雑を招く。

だから瞑想をする。

本日はありがとうございました。終わりの時間が来てしまったようなので、最後に改めてお聞かせ下さい。音楽によってストレスを緩和出来ますか。

もちろん。瞑想的な環境やinner architectureをアーティスト自身が自分の才能を通して示すことで、リスナーは自分を浄化させストレスを緩和し、靄が晴れるような穏やかな場所を自然と手に入れることが出来ます。

最後にもう一つ。宇宙意識は今、ここに存在しています。宇宙意識とは何か、について話すということは今、この瞬間をそのまま話すこと。一つの題材として宇宙意識についてお話ししてきましたが、私が音楽によってそれに気づかせ、導くことが出来ても、その先にある自分の道を切り拓いていくのは自分でしかないのです。

写真: 堀哲平

通訳: 石橋萌

協力: 渋谷WWW

: 大隅祐輔

2019.8.16(金)


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