エレン・フリーマン(Broccoli Deputy Editor)インタビュー

可愛く、美しく、そしてクールなアジテーション

ウィード 文化と社会

初っ端からうんざりされてしまうかもしれないが、すこ~しだけ歴史の話をさせて欲しい。

ロナルド・レーガンは大統領就任後、カリブ海を支配し、自己の内海化を目指すアメリカが古くに取っていた伝統的な政策を蘇らせることを宣言する。それには中米の共産主義勢力を倒す必要があった。そこで、ニカラグアの親米反政府組織、コントラに武器を密輸。さらに、資金確保のためにコントラからコカインを買い取り、アメリカに運び、インナーシティ(貧しい黒人たちが住む街)に安値でばら撒いた。インナーシティではコカイン中毒者が顕著に増え、秩序がどんどん乱れていく。その最中、レーガンはドラッグの販売ルートを撲滅し、所有者を一斉に排除、逮捕するという矛盾というか欺瞞とも思える行動に出た。その目的はインナーシティを弱体化させ、完璧な白人社会を築き上げるためだと思われる。どうしてそれが実現できたのか。それはコカインを政府が買い取っていたということが隠されていたからである。

これらは表面を軽くさらった(おそらく)史実であり、誰かの受け売りでもあるし、さらには超大国アメリカを築き上げたヒーローとしてレーガンを支持し、祭り上げる人々も数多くいるため、日本でぬくぬく、のほほんと暮らしている我々が、横からとやかく言うことではないが、あまりに大きな問題が孕んでいる上に、アメリカを明る過ぎる光と暗過ぎる影にパキッと二分したこと、簡単に無視ができないことは確かだ。少なくとも、ヒップホップフォロワーだったら、意識くらいはしておいた方が良いだろう。事実、ヒップホップを黎明期まで育て上げたラッパーの多くは、レーガン政権下の80年代に少年、あるいは青年期を送っており、その時のことを綴ったリリックが数多く存在する。

“1987年、ロナルド・レーガンの子供(※1)が落ち葉(※2)を
玄関からガスバーナー(※3)で焼き払った(マジでここから出るぜ)
奴はストレスを軽減しようとハッパを吸い(こんなふうにな)
十分足りることを願いながらコカインを買う”

※1 子供=おそらく政策を指していると考えられる, ※2 落ち葉=経済的に恵まれない人々, ※3 ガスバーナー=低所得者に対する扱い

これはケンドリック・ラマ―が2011年にリリースしたファーストアルバム『Section.80』の7トラック目、80年代のアメリカを生きたラッパーたちにリスペクトを捧げた「Ronald Reagan Era」のリリックの一部を抜き出したものである。過去のことであるにも関わらず、異様とも思える状況は変わっていないし、未だにアジテーションは更新され続けている。今回、話を聞いたアメリカのいち市民であるエレン・フリーマンとコービン・ラモントの仲良しコンビも、永遠に変わらないと声高に言う。まずお届けするのはエレンの話だ。

右がエレン、左がコービン。

コロンビアスポーツウェアで働く父と高校の数学教師だった母の元で生まれ、(本人曰く)平凡な家庭で育ったエレンは、フィラデルフィアに位置している大学で文学や言語を学び、故郷のポートランドに戻ってからは、特に何もしない日々を送っていた。彼女が働きだしたのは、パートナーと共に3年間、日本の宮崎県に移住してからである。英語教師として過ごす傍ら、日本の文化や料理について自国のメディアで紹介するフリーランスのライターとして活動するようになった。再びポートランドに戻ったのも束の間、次は職を求めにメキシコに渡ったパートナー(ちなみに教師をしている)についていき、また住まいをホームタウンから移すことになる。ざっとエレンの移住遍歴を記すと、まあこんな感じのなかなかな転々っぷりになる。

仕事における転機があったのは、ポートランドに戻った時だったと言う。Instagramで仲良くなったアレックスという友人を通じて、当時、KINFOLKで働いていたアンヤと知り合った後のことである。日本が少し恋しくなったエレンは、10人くらいの女の子に声を掛け、桜の木を飾った花見パーティを開いた。そこにアンヤがたった一人で来てくれたそうだ。

「梅酒を飲んだり、おもちを食べたり(笑)しながら皆で話をしていた時、アンヤがKINFOLKを辞めて新しい雑誌を作ると聞いて、副編集長として参加することになったの」

アンヤとエレンを含む女性が作る『Broccoli』は、一言で言ってしまえば、フィーチャリング・ウィード・マガジンである。ただ、用いられているいくつかのビジュアルを見てもらえば、多くの日本人が抱きがちな悪しきイメージからは圧倒的にかけ離れていることが、すぐに分かるだろう。時にその存在を潜めながら、アート、ファッション、音楽といった異ジャンルのモチーフの中で可憐な面だけを匂わせ、時に効果をアピールするかのごとく大胆に使われ、時にチルしている様、脳裏を描いたような煌々としたアートワークや写真が挿し込まれる。グラフィックデザインも秀逸だ。そして、どこか茶目っ気を忍ばせている雰囲気は、エレン(とおそらくアンヤ)の人柄を映し出しているとも思えるのだ。

「これまで、いや、今もカンナビス(ここでは便宜的に吸うものをウィード、植物そのものを指す場合をカンナビスとする)産業のマーケティングとデザインは男性にしか向いていなかった。筋肉質だったり、例え女性が出てきたとしても、表現がセクシャルだったり。でも、多くの女性はそう感じていなかったと思う。私にとってウィードは、もっと人の内面、感覚をクリアにし、拡張する手助けをしてくれるようなもの。元々のイメージを変えたかったから、あえて女性ならではの視点、フェニミズム的な観点で雑誌を作ることにしたの」

エレンのウィード初体験は15歳の時。ベッドルームや公園なんかで数人の女友達と吸っていたそうだが、はじめの頃はハイになるのと同時に怖さを覚え、ちょっぴりナーバスになったこともあったと話す。段々と慣れてきて、接し方が変わっていったのが大学生時代。決して常習するのではなく、例えば、親しい友達と午後、ウィード入りのキャンディをなめながらハイキングに出かけるといった、少し特別な時間を過ごすためのものになった。

どことなく自由な気風が漂うポートランド生まれというバックグラウンドがあるからこそ、そんな生活観があるんだろうと思われてしまうかもしれないが、言わずもがな、オレゴン州でウィードが合法化されたのは2014年とつい最近のことだ。ちなみに当初はエレンも両親に叱られ、取り上げられてしまったそう。まあ、若気の至りということで……。

合法化の背景は単に皆、素直に楽しみたいから、という俗物的なものだけではない。もちろん娯楽用が主なため賛否は未だにあるが、最大の目的は産業の構造を正常にし、経済促進に役立てることである。いわゆる闇市場で売られている違法に栽培されていたカンナビスには、人体、地球に有害な化学肥料が使われていた。合法化されれば、クリーンな環境で育てられる上に、産業が発達すれば多くの雇用を生むこともできる。その対象は主に有色人種や女性。つまり、カンナビスは社会にとってあるべきもの、人々皆が、働く平等の権利をもてるきっかけを生み出したのだ。以来、エレンのおばあちゃんは「私も若い頃はねぇ……」と思い出を語ってくれるようになったと言う。しかし、監獄に入れられてしまった多くの黒人たちは戻ってこない。

『Broccoli』のもうひとつの特徴は、アメリカ、カナダ、ヨーロッパのいくつかの国、そして日本の色々なショップに置かれるフリーマガジンである点だ。アメリカでは『Broccoli』も採用しているアドバトリアル(advertisementとeditorialの造語)という仕組みがポピュラーになっている。今回一緒に話を聞いたコービンの言葉を借りれば、「アドバトリアルの場合、アドバタイザーに広告枠を買ってもらうのではなく、アートの売買と同じように、編集者が作り出したものに対して、いくらかの出資をする」。広告は時として編集者が意図しない雑音になる。しかし、日本の雑誌の大半は商業誌、つまり基本的に物を売ることがゴールという前提があるため、たぶん絶対に避けられない。アドバトリアルの場合はおそらく、ある種の援助だ。良いものには相応しい金額を善意で支払う。そんな健康的でフェアな仕組みがあれば、フリーでも何とか成り立たせることができる。例え細々と、だとしても。

「フリーであれば多くの人がアクセスしやすくなると考えたの。共感してもらいたいし、私たちのように普段思っている気持ちを声にしてもらいたい。そんな役割を『Broccoli』にもたせることができれば良いと思う」

センシティブな感覚という体験、想像、創造、その先にある短く美しい異次元への冒険。エレンはさらに、ウィードから得られるそれらを国内外の色々な文化とクロスさせながら表現していきたいと語る。ラッパーのような激しいアジテーションは当然、『Broccoli』にはない。メッセージはただ叫べば良いものではない。可愛く、美しく、そしてクールな姿勢で誤りを正す方法もあるのだ。

: 大隅祐輔

2018.7.12(木)


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