橋梁のレントゲン
自由な想像への次なる導き、ジオラマ進化考
社会、文化、科学、政治。写真はあらゆる文脈において、単なる記録以上の役目を果たしてきた。たった一枚の写真が思考と運動の活力になり、時代を動かすこともあった。写真そのものの変容は、テクノロジーの高度化を伴って起きている。(本当に)ざっと歴史を振り返っていこう。まず像を得るという基本原理はドイツの天文学者、ヨハネス・ケプラーが発明、いや、正確には名づけたカメラオブスキュラによって確立される。その仕組みは今で言うピンホールカメラと同じで、箱に一点の孔を開け、その真正面にある対象が放つ光を集め、それが箱の奥で像を作り出すというもの。つまり、カメラオブスキュラには映す機能しかなく、当時は画家の素描などで用いられていた。“像”が物に定着するのは19世紀の中頃。元々は画家だったフランス人、ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールによってダゲレオタイプ(銀板写真)が発明されてからである。まあ、このあたりはGoogleで検索すれば情報がザクザク拾える上に、“名づけた”と記し直した理由は、はるか昔から概念自体は存在していたためで、ここで詳細に語っていくと永遠に本題まで辿り着かない。
ケミカルとオプティカルの見事な融合によって生み出された写真術は、フランス政府が特許を買い取ったことで一気に広まっていく。とは言え当初、カメラは特権的な存在だった。それが段々と安価になるにつれて多くの人々の手に渡り、遠近法的な世界とは異なる、歪んだ平面的な世界の経験を得るようになる。美への快楽が自然から人工へと逆転し始めるのだ。スーザン・ソンタグは「写真を撮るということは、写真に撮られるものを自分のものにするということ」と『写真論』に記していて、同じように、ある写真家の友人も「人を間近で撮ることは殺人のようで怖さを覚える時がある」と話していたのだが、写真は無意識的に対象を支配した“気”を引き起こす。さらに、ロラン・バルトの言う「かつて・そこに・あった」事後のイメージの所有、交換が可能になったことで、おおよその市民のための“楽しい”写真の基盤が出来上がる。そこからパノラマ写真によってより広い世界を獲得し、ジオラマによってイメージが立体化していくという具合で写真は変容していく。“ラマ”はギリシャ語で「眺め」を意味する。あるどこかに身を置き、上から眺める、あるいは見渡す。ある種の疑似体験、ワープ、自由な想像、飛躍へと鑑賞者を導くようになっていくのである。
それがバンバン量産され、垂れ流しになっている今のような状況は、無数の視点によって編まれた織物、と例えられるかもしれない。例えば、どこかの場所を画像検索すると、そこをとらえたインターネットに格納されている写真のラインナップが一覧出来る。どこどこという場所は、その集合体によって概念化される。この見立てはおそらく、すでに使い古されているクリシェだと思う(たぶん……)。では、次どうなるのか、という予想が今回の本題である。上に貼っているまるで橋が崩れ落ちているかのような画像は、独自開発したドローンを用いて地形や橋梁の観測を行っているルーチェサーチという企業が提供してくれたものだ。同社の代表の渡辺豊は次のように説明する。
「我々は土木、災害河川、測量、工場、気象観測、農業並びに林業と多岐に渡る分野での計測を主な事業にしています。およそ14年間、活動を続けていますが、大きな契機となったのは、2011年に発生した東日本大震災です。有人機(=ヘリコプター)も人も入ることが出来ないエリアでも、ドローンなら入れること、ガイガーカウンターを搭載させ染量調査をすることが出来た。それまでドローンの認知度は非常に低かったのですが、高い有用性がようやく証明されたのです。以来、近赤外線カメラを使い、森の木々の育成状況を確認したり、鳥獣被害が起きている村落の森を上空から見て居場所を探索したりといった、これまで人海戦術で何となく行われていた調査に採用されるようになりました。そして、今、花開きつつあるのが古い橋梁の劣化の点検。ドローンにソニーα7Rを装備させ、橋梁の各部分を90%オーバーラップして連続的に撮り、撮影した数万枚の写真から3次元化する。同じ物を違うところから見る、人の目の原理のような手法ですね。ただ、ロボットを使用する橋梁の点検はまだ認められておらず、今、認可が下りるところの間際なんです」
“次どうなるのか”という予想のひとつが、この橋梁点検の考え方である。先ほど、複数枚の写真があるものの概念を形成しているという見立てをしたが、現時点ではそれぞれがバラバラな存在のように思われている。それが実際にくっつき、ひとつのフォルムになる。写真がパノラマ、ジオラマになったような変容が再び起こる、というか潮流にはなっていないものの、すでに起きていると考えられるのではないだろうか。
「我々のような橋梁点検方法を可能にしたのは、コンピュータとカメラのスペックが上がり、コンパクトになり、ドローンも自製出来るようになったという背景、テクノロジーの発達が大きい。ローコストでスピーディ、かつ的確に出来るという点が現代のニーズにマッチしているのだと思います。今後はそこにAIが加わり、損傷箇所の自動検出も可能になりつつある。ソフト、ハード、プラットフォームが融合し始めたのが今ですね。しかし、土木の世界は未だに紙の報告書が主です。要するに、画像で見せたところで通用しないというか、なかなか分かってもらえない。それと、海外でもまだ実例がないというのも突っかかりの原因のとして挙げられます。そこで、より伝わりやすくするために、3Dプリンターを使った立体化を試みているのです」
これらは“単なる記録”、問題改善策、検査結果に過ぎない。そして言わずもがな、表現であるはずもなく、快楽も混乱も反発もない。唐突で恐縮だが、ここで「ユリイカ」1988年3月号に掲載された写真評論家、多木浩二のインタビューテキスト「見えないものが見えてくる」の一部分を引用したい。
“写真が一種の黄金時代を迎えていたときには、写真は美術とは違った表現であると考えられていました。この区別を強調することが私たちにも重要でした。必死になって写真の独自性を強調したものでした。この独自性は、機械的手段がもたらしたものです。~中略~写真は科学者や実験者にとってもはやごくあたりまえの記録や探求の手段です。写真がなかったら、ある領域の科学は発達しなかったかも知れませんね。~中略~写真は美術の領域を広げたのです。全く新しい感性の次元を美術に導入しました。いつかブラッサイ(ハンガリー出身の写真家。ブラッシャイとも表記)が生きているときに会ったことがありますが、彼は、二十世紀の芸術にとって最大の革命はキュビズムや抽象ではなく、写真の発明であると語っていましたが、それは事実だと思います”
テクノロジー(=機械的手段)の発達によって実現できたルーチェサーチによるいくつかの画像にも、この独自性はあると考えても良いのではないだろうか。
写真史において、もうひとつ重要なのが、外界ではなくX線によって人体の内部を映し出すレントゲンである。機能が社会で求められている点、レーザーによって対象を切り取り、一部分を検知し画像化するという点はルーチェサーチの山の例とある種、共通しているが、レントゲンは使用するのに国家資格が必要なため、誰もが使えるものではない。故に、医学以外に転用されることも、“美術の領域を広げる”に至ったケースもほとんどないと思われる。一方でルーチェサーチのツールは、現代においてはありふれた、汎用のものばかりである。まだ個人がすべてを揃えることは大変だと思うが、いずれ転用が起きるのでは、と浅はかな読みをしている。今後どうなるかは分からない。しかし、このままでも十二分に美しく、格好良く、物悲しいと感じるのは、おそらく筆者だけではないと思う。
ルーチェサーチ https://luce-s.net
文: 大隅祐輔
2018.7.12(木)